Latest Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

争覇

何年ぶりかで、華流ドラマを見ている。
争覇は、中国春秋時代の呉越の争い、臥薪嘗胆の故事、中国四大美人の1人である西施の物語など見所の多い歴史もの。
臥薪嘗胆など、言葉の意味は簡単だが、現実はここまで徹底しているのだろうかと思うと、その苦労に見ているほうが泣けてくる。

まだ、10集程度しかみていないが、話の結末もほぼ予想はつく。けれどそれでいて、最後まで見たくなるのは、やはり歴史ものであるという点と、ドラマとしての面白さのせいだろうか。

紫禁城 華の嵐

なかなか、よかったですよ。
美人ぞろいだし、孔大人の出世物語もいいし、お医者様の純愛もいい。
最後は、天理教の突入で、終わり。
全員、腹黒い悪人みたいなものだから、そういう終わり方しか、やっぱりできないよな。

呂布と貂蝉

やっと、全部見終えました。
一気にみなかったので、なんとなく、だらだら続いているような感じがあって、貂蝉役の女性が、絶世の美女には見えないのもちょっと痛い。
かなり、遊んびで作った作品という感じがあるけど、なんとなく歴史の片鱗はあるかなという程度。
こんなに、長編にせずに、半分程度に縮めたほうがよっぽどいい作品になっただろうと思う。
それ以外、特にコメントといえば、やっぱり曹操は切れ者ということぐらいか。

尋秦記

やっと、全部見終えました。権力をめぐる陰謀と異性関係、それに歴史と現代に帰れるかどうかという興味を引きずりながら、結局、登場人物の全ての因縁を最後まで片付けて終わったという感じ。
少々長すぎで、ちょっとマンネリ気味のところも。
もう少し短めにして、余韻を残すという展開とか、現代との行き来という展開もありえし、ワイヤーアクション多用の活劇もありえただろうけど、そんなのはなくても、結構楽しめた。

墨家が刺客集団化したというのは、どうかわからないが、金で動くように腐敗していったというのはありえる話かもしれない。


曹操

なかなか、続きが出ないので、少し古いドラマで曹操というのを借りて見た。1巻~3巻を借りたはずが、外と中がちがっていたのか、1巻・4巻・6巻だった。それでも、なんとなく、内容がわかってしまうのが三国志のいいところ。

とにかく、曹操がいかに智略にたけた人物だったか、いかに人材を集めることに熱心だったか、と同時にいかに美人好みだったかということがよくわかる。

圧巻は、やはり関羽。金銀にも官職にも美女の貂蝉にも目もくれない。義兄弟の契りを交わした劉備一筋である。そんな関羽にほれられた劉備は幸せものだが、三国志演義などで語られるほどの人物だったのか。ドラマで見る限り、小物っぽく感じてしまう。

金庸ドラマの場合、中華民族側の方を基本的に持っているので、庶民的な方向で反体制的な感じになるのだが、他の多くの中国ドラマは、やはり、体制側、秩序側に大人物を配して描くのかもしれない。
もちろん、それはそれで、味わい深いものもあるが、なんだか華北側、北京好みのドラマという感じ。
香港や上海側のドラマはたぶん違ってるのじゃないかとも思ったりする。

とはいえ、曹操はやはり大人物だ。

墨家ばやり?

呂布と貂蝉を18話まで見た。
三国志については、劉備側にたったものしか知らないが、近年は蒼天航路のように曹操側にたったストーリーもあるようだ。
このドラマでは劉備や関羽、張飛などはどちらかというと端役みたいなもの。野生児ブと黄巾族の頭領の生まれ変わりらしい貂蝉という設定で話が進んでいく。
ただ、三国志ものは、いろいろ描かれすぎているから、史実と演技と、とにかくファンの期待を裏切らないようにとか、いろいろと制約があって作りにくいだろうなと思う。

ところで、謎の人物「心」は一体なにものかと思っていたら墨家の先生とか。妖術使いのようでいて、戦略家でもある。
映画「墨攻」といい、最近は、墨家ばやりなのか?

尋秦記における墨家剣法

タイムコップ尋秦記を20話までみた。香港で視聴率の高かった番組らしく、戦国自衛隊ばりのタイムスリップなのに、結構見ていて飽きない。自分にもう少し秦の始皇帝以前の歴史的知識があればもっと面白いのにと思う。
墨子の流れを組む墨家剣法を主人公が引き継ぐのだが、そのあたり墨子についての知識がなかったのだが、松岡正剛の千夜千冊で紹介されている記事によれば、墨家集団は専守防衛思想を持ちながら、いろいろなところで傭兵集団のように活躍していたのが、秦代には姿を消したらしい。http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0817.html
非戦平和論とは違い、具体的に戦いの場において、まるで合気道のように、相手の出方を利用してこちら側が有利になるような戦法を考え出しているのには感心する。
剣法として存在していたかどうかは分からないが、ドラマの上では、守りのみの剣法ということらしい。もちろん、主人公は、攻撃もするけど。

追記
 なお、墨家集団のこのような戦法は、孫子の兵法にもない高度な考え方のようでもあり、あわせて、東洋の中の失われた思想であり、西洋理解に役立つものと清の末期に中国は気付いたかに書かれているのはなるほどと思える。
 キリスト教的博愛主義と功利主義や侵略的手法の同居する西洋をどう理解するのかの鍵は墨家集団の思想として理解すればたやすい。右の頬を打たれれば左の頬を出せとは、相手の理論を無にするやり方であり、柔道などのスポーツにしても、経済のグローバリズムにしても、日本の得意とするところを不利なようにする政策を欧米は強いてきた。
産業革命や経済力軍事力の差ももちろんあるが、政治力の面において常に相手の作戦を裏目させるように仕組まれていたということ。
 たぶん、この構造は今もかわらない。

まっ、墨家剣法が、るろうに剣心のような逆刃刀だったりすると、また面白いかもしれないのだが・・

シンデレラストーリー?

かつてシンデレラのその後とかいう、変な童話まがいの本があって、
結局、結ばれた後の倦怠感やら夫婦のいざこざやら、ブラックユーモアで面白おかしく書いていた・・・

シンデレラストーリーを地でいったダイアナ妃の生涯は、まさにお話のとおりだったかもしれないけど、涙なくしてきけない話

シンデレラストーリーは西洋の話だけど、ここに登場する江玉燕のお話は、別の意味でのもう一つのシンデレラ。計算高さと狡猾さによって出世街道まっしぐらみたいな感じ。

最近見た、チャンネルNECOで前にやっていた、手塚治虫の「陽だまりの樹」に登場する お紺 もまた、ヨタカから商才でのしあがっていくのだけど、こちらは、シンデレラじゃなくて独身のまま。明治維新がいかに世の中をひっくり返したかの象徴のような存在として描かれているようだ。

でも、玉燕くらい美貌で頭がいいと、実際、そういうこともありうる。のぼりつめた後も、才能をもてあまして、いろいろといじくって、周囲を従わせることになる。

とても、いいドラマでした

PRIDE・・・小魚兒與花無缺

とってもいいドラマでした。40集という長いドラマですが、本当に、笑えて泣けて感動します。
終わり方まで、きちんと感動させてくれます。
決して簡単なストーリーじゃなく、決めるところはきちんと決めながら、随所で観客の期待を裏切っていきます。
玉燕は、阿紫+黄蓉+楊康の上をいってるような。こういうキャラを登場させるというのは原作のすごさなんでしょうね。でも、考えようによっては、大奥の世界と似てたりするかもしれませんが。

史実として、慕容家の抹殺事件が唐代にあったのかどうか。これは、ちょっと怪しいですね。金庸と違って、そこまで史実に沿ってはいないと思います。
慕容家は、五胡十六国時代に、鮮卑族の王朝として、華北にあった、前燕、後燕、南燕、北燕など興っては滅んでいった燕王朝の家系で、その一部は華北ではなく、西域の青海一体に吐谷渾という国をたてて、唐代はじめまで継続していましたが、それも8世紀に吐蕃に滅ぼされました。
 五胡十六国時代の勢力図の変遷はこちらhttp://members.jcom.home.ne.jp/collonnade/

天龍八部で、慕容博が示した家計図が、漢字ではなく西域の文字風だったのもそういう歴史を考えてのことですし、映画「楽園の瑕」で西域なのに慕容燕(映画のストーリーでは、彼女が独孤求敗になるのだとか)が登場するのもそういった背景からだと思います。
なので、慕容家の末裔は唐の中にはいたでしょうが、果たして皇族に嫁がせるだけの名家として扱われていたかはちょっと分かりません。ただ、唐王朝自身の血統が慕容家とは別の鮮卑族の流れだともいわれており、案外、唐代に名家として残っていたかもしれません。

劇中、断腸崖から鉄心蘭が飛び降り、実はその後・・というあらすじは、明らかに神「周鳥」侠侶の流れですが、そのあたりは他の作品例えば白髪魔女伝なども少し似た手法があるので、コピー商品大好きな国を思わせますが、この作品に限っては、全くの盗用のようでありながら、ほとんどしらけることはありません。それだけ、前後を含め、全体の描き方や深め方がちゃんとしていて、しっかりと感情移入できます。

なお、歴史上、遣唐使が南方のインドシナあたりの崑崙国に漂流したという記録はあるようですが、劇中の崑崙の部族はもちろん黄河の源流、崑崙山脈に由来する西域の国という設定です。

また、玉燕の権謀術数ぶりはもしかしたら即天武后のイメージが背後にあるのかもしれませんが、唐代には楊貴妃もでてくるし。なかなか女性の活躍も華やかだったかもしれませんね。

とにかく、とてもバランスのいいドラマでした。

華流ドラマ PRIDE

これ、面白いです。とってもお勧め。
時代は唐。原作は古龍の「絶代雙驕」とか。
原作どおりというわけではないんだろうけど、とにかく面白い。
まじめなストーリー展開の部分を失わずに、笑える部分がとても多い、そのバランスのよさ、女性の描き分け、植木等の無責任男かなにかのテーマを思わせる音楽も結構ピッタリ。
面白く、笑えて、そして結構一途みたいな・・。

白髪魔女伝③④⑤

残りも見てしまいました。
全体として、やっばりノリは軽いですね。
剣魔孤独なんかも、金庸の独孤求敗のノリですし、
最後の皇帝がバカなら手のほどこしようもないっていうノリもいいですよね。歴史自体は書き換えられないですし、実際、明の最後のほうは、バカな宦官に皇帝がおどらされて有能な軍人が失脚していったようです。
http://www.uraken.net/rekishi/reki-chu21.html



白髪魔女伝②

2巻目になって、かなり、このノリに慣れてきました。
私の見ているのは1999年版なんですが、よくよく見ると、玉羅刹って、射「周鳥」英雄伝の穆念慈を演じていた蒋勤勤なんですね。
結構、いろんなところで活躍してるみたいだけど、穆ねえさんのイメージのほうが合ってるような気がします。

それと、歴史的には明朝末ということで、このドラマ東林党とか李自成の乱などの史実とも絡んでいるみたいで、「武侠天下」さんが、ものすごい人物相関図を出しておられます。
http://bukyo.cocolog-nifty.com/tensan_hakuhatu_big.gif

作者の梁羽生は、華南の広西省出身だが、七剣下天山でも、西域の魔鬼城を舞台の一つとしているように、かなり西域に入れ込んでいるのだろうか?魔鬼賊だか、魔鬼門だかというのがでてきたりする・・

女真の工作員たちが、明朝を倒し、中国を従わせるために元朝の宝や正当な統治者の証となるようなものを探しているという設定は、なかなか面白い。
史実としては、女真族は、1635年にホンタイジがモンゴルのチャハール部を平定して元の玉璽を入手し、元朝以来の中国統治の正当性を主張しているので、そういう描き方も出来るわけだ。

腐った明朝よりはまし・・。
後に、順治帝などの名君を生み出す、女真族・・・・文殊菩薩信仰にちなんでマンジュ(満州)族と改名するのだが、その名のとおり知恵にたけていたのかもしれない。

白髪魔女伝

白髪魔女伝の5話シリーズの第1話を鑑賞。
長編テレビドラマの圧縮版なのか、それとも長編小説を無理に5話に圧縮しているのかって感じがしないでもないが・・
ちょっと、まだ、ドラマに入り込めない。
もう少し、シリアスに展開して欲しいのだが、すぐに剣劇になったり、ちょっとしたことで仲良くなったり、敵になったり・・、金庸ドラマでいろいろ見てきているので、なんとなくストーリーがみえてしまうというか・・

剣筋を映像にイラストで一瞬入れ込んで見せたりするのも最初は斬新なのだが、見続けているともう一つかな。結構、大掛かりなワイヤーアクションをやっているのはわかるけど、なんとなくそれもカメラワークなのか音響のかんけいなのか、もう一つ迫力がかんじられなかったりする。

・・神「周鳥」を見た後では仕方がないのかもしれないが、ラブストーリーも仕掛けも今ひとつリアルさが・・。

訳語の関係かもしれないが、女真族の工作員というのも、ちょっと
なんだか、現代劇的で興ざめだ。

でも、「白髪魔女」というのは、あの「七剣下天山」に登場する「飛紅巾」の師匠にあたるので、かなり期待感はあります。

情花

絶情谷で、楊過は情花のトゲがささって毒にあたってしまうのですが、この情花は花びらが食べられる種類の花です。

トゲのある花で花びらが食べられ、しかも愛情と関係があるといえば、バラの花というところでしょうか。

エディブルフラワー(食用花)といって、ほかにもカーネーションやコスモスが食べられるようです。

どんな味なのか興味はありますが、確かに腹の足しにはなりませんね。

ところで、相手のことを想うと痛むという設定が、なかなか面白いですね。
まさに恋そのものが毒かもしれませんね。

活死人墓

金庸ドラマに必ず出てくる設定の一つに洞窟があるのだけど、まさか活死人墓が、仮想敵国の一つ金に対する要塞だったなんていうのには、ちょっとびっくり。

活死人墓は、道教の一派全真教の開祖、王重陽が全真教を教える以前に、2年ほどこもった所。
実際の活死人墓がどういうものだったのかは、ちょっと検索してもでてこないので、遺跡かなにかに行ってみなければ分からないのだろうけど。

釈迦の場合は修行の末に沙羅双樹の樹の下で悟りを開くのだけど、
要するに当時の仏教と儒教と道教の三つ巴の宗教の混交や対立の中で、仏教の影響のもとでの、悟りの前に修行あり、みたいな話題作り的なものも感じてしまう。

ところで日本では歴史上、仏教伝来は正式な年代がはっきりしているようだが、儒教、道教は定かでない。
このうち儒教は、むしろ江戸時代に朱子学や陽明学などの後期の儒教をベースにしたもののほうがずっと広範に流布したので、一番わからないのは道教のほうである。

王重陽の重陽は重陽節(9月9日、菊の節句)から来ているのかもしれないが、桃の節句といい、菊といい、日本的だと思っているものの相当古い起源が、割合、昔の中国にあったりするのかもしれない。
もちろん、今の中国にはかけらも残っていないだろうから、もしかしたら道教の正当な後裔は日本で、だから儒教の後裔である韓国とそりがあわないのかなんて空想したりする。

しかし、ドラマ上でも王重陽は伝説の人。楊過が全真教の教えに疑問を投げかけるのに答えられない師。やはり楊過は小さい頃から智恵がまわる。

ところで、ドラマでは王重陽と古墓派の開祖林朝英は、実は愛し合っていて結ばれるはずだったという設定なのですが、林朝英のほうは、さすがに架空の人物。
王重陽が活死人墓を去って、周伯通家で道を説くのについていかずに活死人墓に誰かが残ったなどというのは、よっぽど修行好きということになって、もちろん、全真教の一番弟子になるでしょうから、ありえない話。

女の情 男の情 そして僧

李莫愁が自分を裏切った陸展元をうらんで、その親戚筋まで脅かし、血も涙もないような悪事に走っているのだが、現実には、守宮砂の紅班があることからすれば、実際には情を交わすところまではいっていなかったかもしれない。
それでも、あそこまでになるというのは、相当、情がコワイ女なのだろう。
小龍女も、本当はそんな一面を持っているかもしれない。志平に対する執拗なストーカーぶりは当然といえば当然ではあるが、そこからもしかしたらもっと憎しみを爆発させていたかもしれない。
天龍八部で、阿朱と阿紫の書き分けは女の両面といった感想を、たしか藍空で読んだように思うが、小龍女と李莫愁もまた女の情のウラ、オモテなのかもしれない。

一方、男の情は、どちらかというと派閥や門派、江湖の制覇、国と国との戦いなどの場面で書かれているように思う。天龍八部では、特に少林寺の倉庫でのやりとりにそのあたりの情念のぶつかりあいがあったように思う。

そして、僧が南無阿弥陀仏といって、悟りを説くのだが、情とは精神の器である肉体が見、聞き、体験したことへの拘泥であるかにいう。
楊過と小龍女のような場合、それももちろん情なのだが、きちんと情を納める形がそこにあるのがいいということなのか・・

※※※
追記
李莫愁の守宮砂が消えないままでの情による凶行や小龍女と楊過の守宮砂など無関係の深い心の絆を考えれば、もともと肉体を超えたものとして情がえがかれているのかも・・
うーん、やっぱり情とは何かっていうのは大きなテーマですね。

三部作?

次の倚天屠龍記とあわせて射「周鳥」三部作とされるのだが、
やはり射「周鳥」英雄伝と神「周鳥」侠侶で二部構成というパターンかなと思う。
まだ、倚天屠龍記を見ていないから、なんともいえないが、
三部作なら、売国奴とされた楊康の息子が神「周鳥」大侠として復権したのだから、今度は、尹志平の息子か孫とか、志平に似たキャラクターを復権させるような物語でもいいと思ったりする。
ただ、倚天屠龍記というのは、どうもそんなのじゃないらしくて、主人公には共感できないという感想をお持ちの方もあるようだ。
歴史的な流れを追うという立場からは、それでもきっと面白い作品とは思う。
また第一部で英雄とは、が問われ、第二部で情とは、が問われたのだが、第三部は何を問うのか?それにも関心がある。
そのうちビデオで観て感想を書きます。

※※※
チョモランマ・・金輪国師の偽名、チベット語で大地の母とか聖母とか神の頂の意味。武術の頂点という意味を言いたかったのかも。

雲南大理国の滅亡・・これによってタイ民族が大挙して東南アジアに移住、スコータイ王朝などの起源となった。

襄陽の攻防戦・・ウィキペディアによれば、襄陽は要衝の地。実際の攻防戦は5年間に及んだという。元軍は回回砲(投石器か?)を使用。映像の大砲がそれにあたるかどうかはわからないが、投石の代わりに、火薬を投じれば同じ効果はあったと思われる。

一つの解

情とは何か・・
こと、情という点でみれば、李莫愁のような悪人でさえも一途な人間に過ぎず、むしろ情が悪事の原点であったのかもしれない。
尹志平の描かれ方は、原作とは違ってかなり好意的に描かれているかもしれないが、そういう見方からすれば、おそらく原作の趣旨に反するものではない。
金輪国師の最後も、同じ。

射「周鳥」英雄伝、笑傲江湖、天龍八部と見続けてきて、いろんなシーンでこれまでのドラマを想起する。
金庸がこれらのドラマを通じて言いたかったのは、情という一つの解なのか。

なぜ、東邪と南帝を舞台装置として残したのか。これが、北丐と西毒なら、民族・仁義と自由を問うものになっていたかもしれない。そして、もしそうであれば、楊過と小龍女は少しネガティブに描かれたかもしれない。しかし、金庸のいいたいことは、それとは違っていた。

楊過が断腸崖から飛び降り、小東邪もまたそれを追うシーンは、天龍八部で阿紫が目を失って蕭峯の遺体を道連れに雁門関の崖から飛び降りるシーンを思い出してしまった。悪く描かれてきた阿紫のあのときの気持ちはなんだったのかとずっと気にはなっていたのだけれど・・

16年後のエピソードは当初は書かれるはずではなかったというウワサもあるのだけど、確かに、李莫愁が死に、尹志平も死んで、一人楊過を生かすために、小龍女が姿を消すという異様な盛り上がりには、やはりそうかもしれないと思った。

だから、16年後の再会は、もしかしたら、神「周鳥」侠侶にとってだけでなく、天龍八部をはじめ、悲恋に終わった全ての恋物語、心の中で恋心を自殺させてしまった全ての読者にとって、その続きとしての夢物語なのであり、それゆえに、多くの支持者をこの作品は持っているのではないだろうか。

神「周鳥」侠侶 後半

また、一気にみてしまいました。
いやー、面白かったです。
前半より、はるかによかった。
やっぱり、郭靖も黄蓉も英雄で大人物なところがよかったし、
一番泣けたのは公孫緑顎の死。
襄陽大戦もいいし、金輪国師もなかなかでした。
ほかにも見所満載でした。

その他の感想は、またあとで、ぼちぼち書きます。



純潔の証

小龍女が亡くした純潔の印 えーっと、右手だか左手だかの紅斑。
李莫愁にいわれて、それが消えたなら古墓をさらねばならないということになる。

純潔の証として、韓国ドラマのチャングムでは、女官見習いになるとき、腕にウグイスの血をたらして、それが流れなければ純潔であるというのがあった。そのとき、これは、中国の○○の時代の皇帝のなんとかの・・といった故事を言っていた。
その故事がなんだったのか、気になって、検索をかけるのだが、ストーリーやあらすじを書いたブログばかりで、故事について書いたものがない。

たぶん、神「周鳥」侠侶の紅斑が純潔の印とだいうのも、おそらくは共通する故事からきているはず。
また、わかったら書き込みしたい。

もし、既に誰かご存知の方がいらっしゃれば、教えていただければ・・私の手間も省けますが・・

政治と宗教

政治と宗教というのは、古代から現代にいたるまで面白い関係にあって、中国史の中でも、宋から金、元、明にいたる時代。さまざまな様相を呈していたようだ。
大きなところでは、中国の為政者の教えであった儒教、民間に流布した道教、そして仏教が三つ巴となっていた。
この時期、面白いのは、道教の一派の全真教が、混乱に乗じて為政者の宗教になろうとしたことである。

射「周鳥」英雄伝では、漢民族の側についているかのようにいう丘処機なのだが、丘処機の時代、金国は漢民族を懐柔するため、全真教を宗教の中心にすえた。それが、金国の意思だったのか、丘処機の作戦だったのかはあきらかではないが、金国にかげりが見えるや、彼は高齢をおしてチンギスハーンに面会にいっている。いかに、なりふりかまわぬ教団拡大のための奔走であろうことか。丘処機がいかに正論をぶったとしても、現実にはそういった面があったともいえる。

そうして、次の時代、フビライの時代には、チベット仏教・・密教が国教とされてしまい、全真教は衰えていく。
そのような中、一神教の勢力である明教(マニ教・・日月神教?)の宗教勢力を利用して元を倒し、明国が成立していくが、明教自体は利用されただけでその後弾圧されていく。

そこから、復古的にあらたな為政者の宗教として、朱子学など装いを新たにした儒教が繁栄していく。

まことに、政変と宗教とがいかに絡まりあっているか、宗教戦争などあまり体験のない日本と違って、中国の政争は宗教戦争の一面をはらんでいたようである。

公孫大娘

公孫大娘


これは、公孫大娘を描いた美人画

公孫子が唐代から、絶情谷に住み着いたということで、絶情谷の位置はどのあたりなのかと考えてみると、
文成公主が吐蕃に嫁いだときに通った、青海省あたりかなと思い、検索をかけてみたら、公孫大娘なる人物名が出てきました。

幸田露伴の文章にも出てきており、どうやら架空の人物。
金庸とならぶ武侠作家、古龍が作品中に登場させているようです。

ということで、絶情谷の位置はちよっと分かりませんでしたが、小説のほうでははっきり書いてあるかもしれませんね。
ちなみにドラマの映像は、青海省とは全く方向の違う浙江省の風景らしいです。


アカマダラ

アカマダラの名を冠する動物は、結構いる。調べてみると、チョウ、カゲロウなどもその部類。でも、有名なのはヘビらしい。

解説によると森林や水田などに生息しカエルやヘビなどの爬虫両生類から多くの脊椎動物を食います。夜行性で比較的気が荒いのですが、何よりも防御臭(臭い分泌物)を出し、かなり臭いらしい。
日本では対馬に生息、大陸では、沿海州から中国大陸、そして台湾まで生息している。

赤練蛇=アカマダラ

赤練仙子 李莫愁
なんで、赤練といいながら、赤い服を着てないのかと思っていたのですが、要するにアカマダラのように凶暴で他のヘビの骨までくらうみたいなイメージのようです。

なお、仙子は仙人の異名でしょうが、こちらもあまり仙人っぽくない。古墓派ということで、イメージを無理やり仙人に結び付けているのかもしれません。

至上の

純愛には、たぶん、全てを否定してしまう力があるんでしょうね。

古女房に飽きた年配のオヤジが、年甲斐もなく、若い娘にちょっかいだしたりするのも、たぶん、そんな夢が見てみたいからなのでしょうが、現実は甘くない。その夢のためにどれほどの代償がいることか。そして、だれもが不幸になる。なんてこともしばしば現実には起きていると思います。

結局、極端な純愛は、悪く言えば生活力のない貧窮状態をまねきかねない。

黄蓉のような、小悪魔のほうが実際は、生活力あるんでしょうし、
小龍女自体があまりに、透明感があって、本音がでていないというか、どんな大人になるか想像しがたい・・いや、もしかしたら永遠に子供とか。
不器用でわがままな阿紫のほうが、むしろ人間味があってかわいいかもしれません。

とはいえ、このドラマ。純愛が売り物でしょうから、
今のところが、中途半端すぎて、早く続きがみたいです。

※※※※
地理的な面で少し分からないのは、
帰雲荘は、前作では、太湖のほとりにあったと思うのですが、
今回は、大勝関にありました。
大勝関というのは、南京の近くで、少し太湖と離れているような気がします。
帰雲荘を移築したのでしょうか?

また、地名としての大勝関というのは、何らかの戦乱の末についた地名だと思いますが、この地での戦乱は三国時代以後は、おそらく明と元との戦いでしょうし、南京の近くでの大勝から連想されるのは後者の時代と思います。よって、もしかしたらこの地名をだすのは少し時代がちがうかも、なんて想像するのですが、まさか、金庸先生に、そんな間違いはないでしょうし・・・原作も、大勝関なんでしょうな・・。

純「情」

情とは何か 
英訳では、情=LOVEになっていたと思いますが、確かにこれはすごいテーマですね。

公孫止と裘千尺の関係・・まるで浮気した勝手な旦那にいきり立つ古女房との間で起こる一種家庭裁判所で決着したくなるような夫婦関係

楊過と小龍女の師弟愛を超えた禁断?の愛

しかし、社会一般にいえば、確かに師匠と弟子がそういう関係になっては、なかなか一門の発展はおぼつかないかもしれません。ぜったい、なあなあになるし、他に弟子がいれば、良くない影響が出るでしょう。

師弟愛といえば、黄薬師と梅超風を思い出しますが、小龍女と楊過の場合は師弟愛というより、令狐冲と小師妹との関係に近いかもしれないとも思ったりします。
いや、幼馴染というのではなくて、本当は小龍女はもっと冷淡な感じの人なんでしょうが、年若いリュー・イー・フェイが演じているので、そういうふうに見えてしまいます。

ともかく、無垢の情とでもいうんでしょうが、彼らの周りで、さまざまな醜い争いが起きて・・そういえば李莫愁がああなったのも、裏切られたせいですから・・年若い彼らは、どこまで純愛を貫けるんでしょうね。

五毒秘伝

五毒については、前にも書きましたが、
五毒とは、ヘビ、サソリ、ムカデ、ヤモリ、クモなどのことで、
湖南省では、五毒図を壁に掲げて、針を突き刺し、五毒がなくなることを祈るという記事がありました。

また、現代史では、中国共産党が、国家成立直後に、三毒=幹部の汚職、浪費、官僚主義 五毒=贈賄、脱税、国家資産の窃取・搾取・仕事の手抜き、原材料のごまかし、国家経済情報の窃取 と位置づけ、三反運動とか五反運動とかを進めたというのがあります。

ヘビ毒を中心とした声域出身の西毒とは違って、出展が中国南部のほうなので、同じ毒でもつながりはなし。

李莫愁の場合、五毒秘伝なんか探さなくても、散々悪事のほうの五毒をやってますから心配はいらないかもしれません。

人物その他

フビライ

フビライといえば、元王朝の祖で、日本をも従わせようとして艦隊を送ってきたわけですが、チンギスハーンの帝国の跡継ぎとしては、必ずしも主流というわけではなく、王朝名を元としたことからも、かなり中国趣味だったかもしれません。

ドラマで、乾杯のシーンがありますが、モンゴルの正式な乾杯の仕方は、まず、杯の中に。指先をつけて、それを天地に弾き飛ばす。
天地の恵みに感謝といったところでしょうか。
前作の射「周鳥」英雄伝では、そうやってから馬乳酒をのみほしていましたが、今回は、フビライ自身、その作法をまもらず単純な乾杯をしています。

このあたり、同じ監督の映像としては歴史考証がないというべきか、それともフビライ自身がモンゴルの作法を捨てた存在とみるべきなのか。

耶律楚材
学才があるので、描かれ方自身はあっているとは思いますが、フビライとは全く別行動しているかのようで、ちょっと謎です。

金輪国師
歴史上、フビライと親交のあったチベット仏教の僧で、後にモンゴルの新しい文字を作った国師にパスパがいます。
しかし、パスパを金輪と読み替えることは無理があります。
むしろ、ドラマの上で使用される武器のイメージから金輪としたのだと
考えられます。

クドゥ
うーん、ハイドゥなら歴史にでてきますが、よくわかりません。それになんで、チベットの国師といっしょなのか?

耶律燕、ワンヤンの娘さん
この辺は、さっぱり歴史にでてきませんので・・。でも、二人とも名家の子孫です。

尹志平
 全真道教の七真人とならんで、実在した弟子。
尹家の末裔が騒ぎ立てたのでドラマの上では、今回苗字が変えられたとか。しかし、前作でもわかるとおり、尹志平は、もともと郭靖より年上ですから、小龍女はどえらいおっさんに貞操を奪われたという設定。その後も公孫止の後添えになりかけるし、世間知らずのお嬢さんは中年男に弱いのか?

楊過
設定では、楊家将という英雄の家柄の遠い末裔らしいので、父親が売国奴として死んだという設定なので、ここで復権させたいストーリーか。

黄蓉
相変わらず知恵が回って、口が達者。でも、自分にとっての正義しか考えられないんだよね。

郭靖
やっぱり、愚鈍なんですね。

丘処機
正論をぶつのが丘処機のイメージですが、弟子がこれじゃあ。

天下国家を論じてみても、楊過と小龍女の無垢の愛に比べれば、なんとつまらないものに見えるのかといった感じでしょうか。


とりあえずの感想をもう少し

阿紫には及びませんが、やはり存在感があるのは、李莫愁でしょうか?
恋に破れ、悪事を重ね、自派他派ともに殲滅せんと走り回っているみたいな。
そこまで、失恋とはすさまじい想いなのでしょうかね。

そして、対照的なのが小龍女。無垢な存在として、無垢な愛を貫けるのか?

冷たい郭靖、黄蓉。特に、黄蓉は、弁が立つだけに、自分の正義で他人を振り回してしまうところは、全く昔と変わっていない。昔と違ったのは、自分の正義が世間になじんだものになったってだけの話。

しかし、見続けていると小龍女と楊過のペースにはまってくる。
メロドラマにどきどきしてた昔のオバハンみたいなもんだ。


神「周鳥」侠侶 前半

お久しぶりです。
長期間、書くこともなくほっておいてすみません。

実は、前半のDVD5枚組みが我が家に届き、一気に見てしまいました。

映像の印象としては、コンピューター処理をかけすぎ。
ワイヤーアクションはまだ許せるけど、コンピューターでやっちゃうと、もともと漫画的な世界がいっそう漫画になってしまう。

配役としては、小龍女と楊過がアイドル路線に走りすぎ。
しぶい爺さんたちもあまりでてこないし
フビライなどモンゴル人もモンゴルらしさがない。

もう少し、薀蓄のある言葉とか歴史の関連が出てくれば私としては嬉しいのだけど、王重陽が、道教の一派、全真教を開く前に活死人墓で修行したのは、既出の話だし、モンゴルがチベットの荒くれ仏教を見方としたらしいこともそうだし、特に目新しく感じるものはない。

でも、そういったことを全部、忘れて、別なドラマとしてみれば、
なかなかミーハーな気分で楽しめる。

例によって、モテモテの好漢とさまざまな女たち。
そして、ちなまぐさいドロドロの因縁話。
得意の洞窟と秘伝書の争奪。
金庸の舞台設定には欠かせないものばかり。

唯一、前作と違うのは、主人公が楊過であって、愚鈍な正直者であった郭靖とは180度違うということ。ストーリーの中心が小龍女との恋愛にあること。

また、気のついたことがあったら、暇な時に書きます。
でも、あまり期待しないでください。ほとんどネタ切れですから。


連城決ダイジェスト版

中国の岩窟王というか、連城決。
5枚組みのダイジェスト版のやっと見ました。

韓国ドラマなんかより、金庸もののほうがはまる人が多いんじゃないかと思うんだけど、地元のツタヤじゃ、狭い棚におしこめられて、DVDも一枚ずつしかおいてないから、いついっても借りられっぱなしで・・。
自分の生活時間帯から、平日だと夜10時にならないと借りにいけないから、よけいそうなんだけど、実に、たった5巻みるのに2ヶ月もかかってしまった。

見終わって、うーん、やっぱり、ダイジェスト版だしちょっと物足りないかな。でもストーリーは分かった。
後の作品の原型になるような設定ももちろんあるけど、歴史的設定や伝統という面からみると、ちょっとものたりない。薀蓄のある科白も乏しい感じ。

主人公の顔立ち、も少しかっこいい人にしてもよかったのでは?と思ってみたり、いやいやあの顔の雰囲気こそ、本来の原作に近いかもと思ったり。

一ヶ月ぶりにブログを書いていていうのもなんだけど、
面白かった
っていう感想しかない・・・。

やっば、低調だな。このところ・・。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。